浅草ウオーク

これまでの経緯

『すべでの人々が分かち合える平和』を作っていくために。わたしたちは、すべての戦争被害者・支援者の方々との連帯をめざします。

ここから始まった。2005年3月、会場・六本木ヒルズ、東京大空襲展。

六本木ヒルズ
六本木ヒルズの行列は、マスコミでも
連日のように報道されました。

1週間で1万人以上の来観者をむかえた「東京大空襲展」。東京大空襲の遺族や体験者たちがはじめて結集し、実現した展示でした。わたしたちの歩みは、この展示を応援することからはじまりました。


被爆者の方々との出会い。

東京大空襲集団訴訟、決起集会
出会いのきっかけとなった、3.4東京大空
襲集団訴訟、決起集会。

多くの戦争被害者たちが「つながっていく」必要を、わたしたちに気付かせてくださったのが、広島や長崎で被爆され、「核廃絶」と政府に対して「国家補償」を求める活動をずっと続けてこられた、被爆者の方々です。


吉田一人さん
吉田一人さん

今年3月4日、東京空襲遺族会の集会に、長崎で被爆された吉田一人さんは、「いっしょにがんばっていきましょう」と力強いエールを送って下さいました。わたしたちのウォークにも、エールを送り続けて下さっています。


戦後補償の「ゆがみ」

白地の遺影
白地の遺影(東京大空襲展より)。こちら
から名前を「呼びかける」ことだけが、彼
らの存在をよみがえらせることができる。

毎年1兆円ちかくの税金が、日本国籍を持つ旧軍人・軍属、そのご遺族の方たちだけに支払われている。それなのに、空襲や原爆で亡くなった「市民」には、謝罪も補償も行われていない。わたしたちは、このことにどうしても納得できない。

すべての原因は、戦後問もない時期、1952年と53年に制定された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」「恩給法」という法律にあります。

わたしたちは、「戦後補償」の範囲を、「日本国籍」を持つ「軍人・軍属」だけに定めたこれらの法律を、より公平で公正な内容のものに、作り変えるべきだと考えています。

有事法制に、「協力者」への救済はあっても、「市民」の救済は定められていません。


過去の重荷を、これ以上先送りしてはならない。共に、未来を作っていこう。

 

新着情報

2012/1/3 当日の記録を更新しました

2011/10/21 賛同人を更新しました

2011/9/6 2011年版に更新しました